薩摩切子とは
薩摩切子とは
江戸末期に薩摩藩で造られた切子ガラスです。 鉛を24~25%含むクリスタルガラスを使用し、無色のガラス(クリアガラス)の表面に色ガラスを1~2mm程度溶着させた ”色被せガラス”にカットを施し、磨きあげた製品を「薩摩切子」と言います。
薩摩切子は、被せた色ガラスに厚みがありますが、色調が淡いため、クリアガラスから色ガラスの間にできる グラデーション「ぼかし」が特徴です。
歴史
薩摩藩10代藩主 島津斉興が1846年に製薬館を創設し、医薬品の製造に着手したが、薬品の強い酸に耐え得るガラス器の必要に迫られ、江戸より硝子師(びーどろし) 四本亀次郎を招聘し、製造し始めたのが発端です。
そして、1851年 島津斉彬が薩摩藩11代藩主に就任したことを機に、ガラス製造の目的が色被せ切子を作り出すことに変わり、「紅ガラス」の色出しに成功、薩摩ビードロの名を高らしめました。 その後ガラス窯は磯の集成館に移され、ガラスの製造は切子という技法と共に盛大を極めましたが、斉彬の急逝により縮小、更に1863年 薩英戦争にてガラス工場も灰燼に帰しました。
その後、約120年を経た1985年(昭和60年)に斉彬ゆかりの磯の地で再び薩摩切子の復刻が始まり、現在、薩摩郡さつま町の「薩摩びーどろ工芸㈱」では、当時の名品の数々や、現代のライフスタイルに合わせた薩摩切子を製作しています。